|
-1982年 富士スバルライン- その3
|
| 1982年7月31日 |
|
富士宮市のホテルから川口湖畔までは約60kmあるので、朝6時過ぎにホテルを出てすぐ出発した。富士宮からは、富士山麓の西側を北に向かって、時計回りに河口湖まで行くのである。途中ずっと富士山は進行方向の右側にあり、山頂はおおかた雲がかかっていたが、一瞬だけその頂上をを僕に見せてくれた。すかさず車を止め、写真を1枚。パシャッとシャッターを切るや否や、またすぐ富士山は帽子をかぶってしまった。
しばらくは広大な富士の裾野をドライブできて、登坂トライ前のゆったりとした時間を過ごし、つかの間ではあるがリラックスすることができた。
別に急ぐ旅でもないと、ゆっくり自転車を組み立て、柔軟体操をして、深呼吸一発。さって、いくぞっ! 午前9時。僕はゆっくりとペダルを回し始めた。天気は上々。出発地点からすでに始まっている登り坂は、たいした傾斜ではない。楽勝である。これなら
■ ■ ■ がく然とした。こんなはずではなかった。走り始めてから10kmも走っただろうか?汗は吹き出し、呼吸は乱れきって、ハンドルさばきもペダリングもへろへろである。灼熱の太陽が、容赦なく僕に襲いかかってくる。しまった!これは大失敗だ。真夏の炎天下の登坂は大変だったのだ。 ううっ!なんと、情けない。そうなのだ。7月の31日がどれほど暑いか想像はついていたはずなのに、気にしていなかった。日本縦断の経験は全く活かされていない。仮にこの日程を変えられなかったとしても、もっと早い時間帯に登坂を開始することは出来たはずだ。太陽が高い位置に上る以前の、涼しい時間に登ってしまえば、まだ楽だったかもしれない。それを、僕は出発時にのんびりと構えていたのである。さらに…、さらに、今さらこんなことに気づくなんてどうかしてるが、そういえば僕は本来、こういうダラダラとした坂が嫌いだったのだ!坂中毒には2種類あって、ひとつは、あまり傾斜のきつくない坂をコツコツと登るのが好きな人。もうひとつは、激坂を短期決戦でケツをあげて一気に登りきってしまうのが好きな人。…そう。僕は後者である。すでにここから失敗しているのだ。富士山はどちらかというと、傾斜はたいしたことはない。が、30kmのダラダラ坂はハッキリ言って長いと思う。 自己嫌悪。 あろうことか…、あろうことか、あろうことか…。 ああ、これを読んでくださっている皆さま、期待を思いっきりハズしてしまって申し訳ありません!愚かな豆壱郎をどうぞお許しください。 あんなに苦しんで登った坂なのに、下りの速いこと速いこと。あっという間にビジターセンターまで降りてきてしまった。たったこれだけしか登らなかったのか、と、自分の非力さにあきれもした。富士スバルラインごとき、チョロイもんさ、と自信過剰になっていたのだろうか?いや、そんなつもりはなかったが、思えば、日本縦断を終えてから、自転車のトレーニングなどまともにやっていなかった。今回の富士山に向けて何の準備もしていなかった自分の愚かさに、今ごろ気がついても遅すぎるっちゅうの! 僕は、ガックリと肩を落としながら、そそくさと自転車をバラし、逃げるようにビジターセンターの駐車場を後にした。
■ ■ ■ さて、予定外に時間が余ってしまったため、残りの時間は観光に使うことにした。西湖、河口湖の北岸の道路は、ワインディングが続き、ドライブには最適だった。河口湖畔の駐車場に車を止め、土産品店などを散策。再び車の所へ戻ってくると、僕の車(スバルレックス)をしげしげと眺めながら、 あてもなくフラフラするわけにもいかないし、そろそろ出発することにする。きょうの泊まりは、埼玉県の友人宅。高校の時の同級生だが、卒業後、某社に就職して埼玉に住んでいた。僕は、中央高速から首都高速へと車を走らせ、高島平で一般道に降り、埼玉に向かった。 その日、埼玉の友人宅には、やはり埼玉や東京にいる元同級生2人も集まり、僕を含む計4人が泊まることになった。ちょっとした同窓会だ。夜遅くまで語り合った。
■ ■ ■ ここまでの話なら、おぞましき体験でもなんでもなく、ただ富士山5合目登坂に失敗したというだけの話である。ここまでなら…。 本当の悲劇は、次の日に序章の幕を上げたのである。
|
||||||